板橋区の坂道

 

 埼玉県と境を接する板橋区は荒川の右岸に位置して区域の南部一帯は武蔵野台地に繋がった地形のため当然のこと坂道の多い場所となっています。太古の昔から人びとの暮らしやすい場所だったのだと思われ、中世以降には中山道や川越街道、徳丸ヶ原田甫往還の為多くの鄙びた好もしい名前の坂道が開かれたのだろうと勝手な憶測が湧く散在です。


 

平次坂

東京メトロ三田線志村三丁目駅の南から志村城山公園北側下をなぞって東南の志村第三公園方向へ上る坂。この坂を行く道を御成塚通りと言うようですが、東隣の志村坂中山道と共に一帯がはるかな昔から地域の要、交通の要衝だったことが推測できました。

 

 

新大宮バイパス

練馬区北町で川越街道から分かれ、板橋区西部を北へ通り抜ける幹線。高島平5丁目で首都高速5号池袋線と合流し荒川を渡って大宮へ行く道は、ここに限らず現代社会の活力を感じさせるダイナミックな爽快感すらをも投げかけているようです。

 

 

 志村坂 

東京西北を走る大幹線中山道、都営三田線志村坂上駅上に出れば、中山道(国道17号)が西北方向へ雄大な風景を描いて下って行きます。坂下の先は新河岸川そして荒川に架かる戸田橋となります。坂上の志村一里塚がここを行き来する万端を眺めています。

 

 

 

見次坂 

東京メトロ三田線志村坂上駅南口の一里塚地点を、西へ2丁程行った先を見次公園に沿って西へ湾曲しながら下る坂。界隈の町域の中に大小さまざまな公園のある中でも、丘上の台地にこれだけの水をたたえた公園も稀と思われ坂の点景とも楽しめる所です。

 

 

神明坂 

東京メトロ三田線西台駅の南600米ほど、首都高速5号池袋線脇の大東文化大学方向から西台2丁目天祖神社前を南の志村五小学校方向へ上る坂。大都会東京の中に鄙びた落ち着きと癒しを感じさせる坂道に恵まれた板橋区内のその一つの坂でした。

 

 

弥陀堂の坂 

西台3丁目の西徳第二公園・志村五小学校近くの坂上から西北に下る坂。坂途中に京徳観音堂があり坂名はこちらのご縁からと察せられます。東武東上線東武練馬駅の北、不動通りをバス停徳丸町辺から東の志村第五小学校を目指せばたどりつけます。  

 

 

下井戸の坂 

東京メトロ三田線高島平駅南松の月院通りを直進、都立赤塚公園南の紅梅小学校東の坂下から南へ上る坂。坂途中の安楽寺先の新徳丸通りを超えれば鷹番の坂となる。西徳通りを過ぎてさらに南に行けば観音講の坂、その先は東武東上線東武練馬駅北口です。

 

 

鷹番の坂 

東武東上線東武練馬駅西の徳丸通りには南から北へ「観音講の坂」「鷹番の坂」「下井戸の坂」と三つの坂が連なっていることが分りました。どの坂名も古の暮らしを思わせますが、案の定、鷹番の坂・天神の坂の近くに郷土芸能伝承館が存在していました。

 

 

おいせ坂

徳丸3丁目4丁目境の徳石通りの二股道を北東へくねりながら西徳丸通りを超えて徳丸槇の道へ行く坂道。この道への生き方は、東武東上線東武練馬駅西の徳丸通りを北に行き、西徳通りとの交差点宮の下を西へ3町ばかりの行程です。健脚をもってどうぞ。

 

 

急坂

東武東上線東武練馬駅の北から不動通りの新坂(徳丸坂)を越えて坂下のバス停徳丸町先東側から東南方向へ上る坂。確かに急な坂道の上に徳丸小学校があり、一帯が北の西台と同じ高台にあることを実感する坂道です。坂上は南側を上って来たおう坂と合流。

 

しったり坂

赤塚8丁目、首都高速5号池袋線の高架が頭上近くを走る赤塚8丁目都立赤塚公園の森の南、竹の子公園や諏訪神社近くのやぶの道を越えて行く先は都内有数の都営高島平住宅団地、誠に懐かしい鄙びた野良道が辛くも東京都区内にまだ残っていました。

 

 

観音講の坂 

徳丸3丁目の坂、東武東上線東武練馬駅西から北西に行く徳丸通りの、徳丸地域センター角を西北へ下る坂。右手坂道は北の北野神社天神坂へ行く手前の向井坂、本命の坂のそれらしき材料の発見は無かったのですが、その「講」は今でも有るのでしょうか。

 

 

志村城址の坂  

中山道下を走る東京メトロ三田線志村坂上駅を西に行く城山通りの地点は、昔から地域の要だったらしく城跡や旧村役場跡などが残る高台にあります。城山公園からの眺望其の他様々な状況も含めて、確かにここを拠点とした訳も分かると言う場所です。

 

 

つるし坂

東武東上線成増駅東の赤塚高台通りを北東に上赤塚交番まで行く。赤塚3丁目と5丁目境の赤塚体育館通りを東南に行く坂下は松月院通り赤塚体育館温水プール脇を北西に上った坂だったような、かなりあやふやな記憶のため(詳細不明)としておきます。

 

 

太郎坂 

成増4丁目と赤塚3丁目境界の南西に走る成丘通りの坂。同じ通りの南にある百百目女木坂とも東武東上線成増駅西へ出る坂です。などと書いたものの、太郎がどこをどうさまよったのか徘徊爺がどこをうろついてきたものやら皆目わからないのであります。 

 

松月院門前の坂 

東京メトロ三田線高島平駅前から区内西部を南西に走る松月院通りと東武東上線下赤塚駅から北へ走る赤塚中央通りが交叉する赤塚8丁目地点の大堂松月院境内門前の坂。平安朝初期からの歴史を秘めると言う古寺の名は松月院通りに見えるとおり。

 

 

種井坂 

都立赤塚公園沿いを湾曲しながら南の松月院通りへ上る坂。東京メトロ三田線新高島平駅西の高島平3・4丁目角を南へ直進、首都高5号池袋線高架下から四葉2丁目の稲荷神社脇へ出る坂周辺の様子は整備された森や公園にめぐまれた散策地との印象です。

 

 

赤塚城址の坂

何ともいい絵ではありませんか、我ながらウットリしますです。赤塚5丁目、東京大仏通りの西、都立赤塚公園、赤塚五丁目森の広場近く区立美術館や郷土資料館など施設の点在するあたりであったとの記憶があるようなないような、でもいい景色です。

 

 

松山の坂

環八通りと首都高速5号池袋線が交差する地点、中台3丁目ののしいのき公園脇を東南の若木3丁目貝塚公園方向へ上る坂。若木3丁目と中台3丁目境界の若木通り下の公園までは、東京メトロ三田線志村三丁目駅西を真っすぐ首都高下まで行きます。 

 

 

山の坂

大門竹の子公園近くの坂下から新大宮バイパスが地下を走る山上の大門見晴台公園方向へ上る坂。坂下は赤塚8丁目を北西に行く東京大仏通りにつながっていきます。

(注)このあたりより記憶曖昧となっているためペンデイングとします。

 

 

 

馬の鞍の坂  

首都高速5号池袋線志村PAの東、前野町4丁目の熊野神社方向から北の旧志村役場のあった志村城山公園のある城山通りの方へ上る坂。城山、村役場、高台へ上る一帯の地形、荷駄を背にこの坂を登った馬子と馬の難渋した筈の景色が思い浮かぶ坂です。

 

 

赤パッケの坂

赤塚4丁目・赤塚城址の坂とのメモがあるのみ、徘徊爺は、いつどのようにしてここまで行ったのでしょうか、全く記憶が有りませんです。でも、写真が有るのですから、ヤッパリ、行っていたのでしょう。そのうち、復習もかねて確認にいきますです。

 

 

番場稲荷坂  

西台三丁目8と10辺の間を北西方向に上下する坂。西台三丁目にある稲荷社の前を西へ下る坂の南側一帯の谷を番場と言っていたことからの坂名の由です。上板橋から若木通りを来て中台を経て西徳丸通りへ抜ける道だったと古老に教えられました。

 

 

峡の坂

徳丸五丁目にある坂。徳丸石川通りを石川橋公園から北へ行き左側方向に上る坂が見えるのが峡の坂で坂の先は松月院通りに出て四葉の駒坂に通じる坂、崖下(峡下)から上ったので峡ノ坂と呼ばれる。いたばし観光センター資料によります。 

 

南坂 

雑司ヶ谷霊園の南側雑司ヶ谷一丁目にある坂。都電荒川線鬼子母神前駅から東南方向にある雑司ヶ谷一丁目と二丁目境の商店街を行った先一丁目側6番7番の間を北側の霊園方向へ上る坂で坂下側十字路を南西方向に行けば目白通りバス停高田一に出ます。

 

 

石坂

成増四丁目にある坂。俗称「ドヤマ」の台地下から南西に菅原神社のある台地に上って行く坂で成増4丁目と五丁目を分けている、この坂の名の由来は成増村になる前の地名が石成村の小字成増であったので関係しているのかもしれないと観光センター資料。

 

 

小治平久保坂  

成増一丁目にある坂。板橋区北西部の南を北西に走る川越街道の坂で、上り初めの坂下は北東方向から来た松月院通りとの追分となっており角にある由緒ありげな小治平坂祠の有り様などから一帯が地域の要として人々が大切にして来た地点の様です。 

 

 

小井戸坂 

赤塚三丁目にある坂。上赤塚公園の北側の道は成増四丁目と赤塚三丁目の境を通っていて小井戸の谷頭にあたる、ここに下りるには昔は急坂だった由でこの坂を小井戸坂という。今は埋められてなだらかな坂になっている。板橋観光センター資料中より。

 

 

閻魔坂  

中台一丁目と若木一丁目境にある坂。東武東上線上板橋駅北側の中台台上へ上るバス通り若木通りの坂で坂下中台一から坂上の若木小学校・稲荷神社前へ北西よりに上る坂、道は坂上の神社前で二手に分かれ北東側は南坂上へ北側は松山の坂上へ行きます。

 

 

谷津坂  

西台一丁目にある坂。西台の尾根道を南北に走る西台中央通り上の法蔵庵円福寺近くの台上から東方坂下の西台公園方向へ下り坂下を走る環八通りに出る坂道。映像に見える通り本地域も宅地開発地は僅少となって都区内での坂道景観も激変の様子です。

 

 

岩の坂 

清水町にある坂。旧中山道の宿場町仲宿を過ぎ板橋を渡り噂の縁切り榎をすぎ現代構造物の環七通りを越えた先の清水町にある坂。坂は北北西に向かい首都高高速下園地辺から二手に分かれ一方は中山道へ片方は高速道沿いの低地を長徳寺下方向へ行きます。

 



森光宏明

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