新宿区の坂道

 

 江戸幕府時代の江戸城守りの町割りの中では文京区・港区と共に新宿区に置かれた幕臣の屋敷群の跡はそれぞれ坂道を従えた地形にあり、近年の都市再開発による新時代の流れの中にあっても、その多くは辛うじて往時の面影を留めています。建設と破壊の変化の中に古き良きものを守り育てる動きも見える新宿の坂も含めた現代の流れです。


 

念仏坂

東京メトロ新宿線曙橋駅のある住吉町にある坂。駅西口前方を北へ伸びる商店街を入った先の右手北東方向を台上に上る階段坂で一帯は古くから地元に溶け込んだ坂の町との印象です。階段坂を上がり途中を北に折れてその先を行けばテレビ8Cの前です。

 

 

安保坂

新宿区を東西に横切る靖国通りと南から来る外苑西通りの合流地点にある富久町の坂。東京メトロ新宿線曙橋駅と新宿三丁目駅の上を走る靖国通り中間地点の大坂で西にの先は青梅街道に繋がり南へ行けば四谷大木戸を過ぎ国立競技場方向に至る分岐店です。

 

 

かめわり坂

東京メトロ新宿線新宿三丁目駅北東を東西に走る靖国通りの大坂。新宿二丁目と新宿五丁目境界の靖国通りを西へ下る大坂は靖国通りと御苑大通り交差点東の二丁目側に成覚寺・正受院や太宗寺のある一帯の坂で内藤新宿と言われた旧跡の町の坂です。

 

 

四の坂

中井二丁目は、1の坂から8の坂まで八つの坂が並ぶ不思議な場所です。一連の坂は、坂下の中井通りからそれぞれの坂を上ってその先の坂上通りに至るという街並みですが、著名な作家・林芙美子女史は四の坂下の住人でした。

 

 

 高力坂 

中央線四ツ谷駅北本塩町脇の外堀公園沿いの外堀通りの坂。古書に「市ヶ谷門より四谷門へ赴く堀端通りに坂あり高力坂といふ幕士高力小次郎の邸あり松ありしかば此の名を得たり高力松は枯れて今人見の合力松を存芹東京電気鉄道の外濠線往復す」と。

 

 

 

浄瑠璃坂  

市谷砂土原町一丁目と市谷田町二丁目境、『紫の一本に云』浄瑠璃坂おなじ片町の内田町と言う町より上る坂をいふ昔此坂のうへにて操浄瑠璃の芝居ありし故名とす今水野土佐の守の長屋六段あるゆえ浄瑠璃の六段によみかへて名付たりといふ、噓説なりと。

 

 

袖摺坂 

東京メトロ大江戸線牛込神楽坂駅上にある坂。駅出口横を北へ上る階段坂はこの一帯に数多く残る昔ながらの町名である箪笥町と横寺町の間の坂で坂上を行って左北東方向に折れれば朝日坂に行き会い坂下前面は大久保通りを東へ下る弁天坂上という地点。

 

 

出羽坂 

JR中央線信濃町駅東の線路際の町南元町にある坂。駅前北口の1ブロック目の路地を東へ行った先の道がJR中央線路線高架下近くへ下る坂は坂名通理格式ある御方の屋敷脇の坂であった由でこの谷地に点在する坂道と共に江戸の昔からの古坂といえます。 

 

 

歌坂 

東京メトロ有楽町線市谷駅北の市谷田町二丁目と市谷砂土原町三丁目の坂。外堀通りを北西に上る牛込中央通りに入り北東側の市谷田町にある法政大学キャンパスの西北角を右に折れた先を北東に上る坂。学園と落ち着いた住宅街の間を上下する穏やかな坂。

 

 

軽子坂 

新宿通り四谷二丁目三丁目境界近くの北側荒木町と三栄町の間を北の靖国通りへ向かって下る坂。付近の車力門通り・柳新道通り杉大門通り三栄通りなど四谷の中心が新宿に移った後でも坂周辺一帯は江戸の昔の賑わいの跡を今の坂風景の中に留めています。

 

 

高田八幡坂

早稲田通りと早大南門通りが交差する馬場下町、その西北正面に鎮座する穴八幡宮、早稲田大学と共に都の西北の雄ですね。この八幡宮の北東脇早稲田通りを西北に上って行くのが八幡坂。また、画面手前左手方向に上る坂道が夏目坂です。

 

 

成子坂

西新宿六丁目と八丁目の境を貫く青梅街道沿いに鎮座の成子天神社が坂名の由来です。坂は西に向かって長く、神田川に架かる淀橋辺まで下ります。川向こうから再び上り坂となる辺りは中野区側の中野坂となります。

 

 

千日坂

信濃町駅西の信濃町橋を南に渡り、外苑東通りの権田原交差点までの東側崖地、その低地に一行院千日寺があるため千日谷と呼ばれ、坂名もそれにちなんだものであるとか、現在の坂はその後に整備されたものとの由です。

 

 

見晴坂 

中落合一丁目は、神田川に合流する妙正寺川を足下にした台上にあって、ほぼ真南を受けた環境は健康的な印象です。往昔、ここからの富士山眺望が素晴しいことからの坂名となった由で、今は、南方に新宿副都心を望む絶佳の地とか。

 

 

暗闇坂  

古書に「愛住町の西北隅より市谷谷町の方に下る坂をいふ、右は全長寺左はもと地福院在りて、竹樹茂生して路を掩ひ、白日尚暗きを以って名付く、方今は竹樹を採伐したれば日光を籠るものなく全く旧景を一変せり」との記事があります。

 

 

焼餅坂

市谷柳町を東西に横切る大久保通りと南北に走る外苑東通りの交差点を東へ上る坂です。その昔、坂を上下する人の為に、焼餅を商う店も有った筈の坂道は、今、すっかり整備された区画道路の脇に、僅かにその名残りをとどめています。

 

 

禿坂 

東京メトロ新宿線曙橋駅と新宿三丁目駅との中間地点にある富久町にある坂。富久町の南を東西に横切る靖国通りの安保坂下の成女学園のを西北に行く東京女子医大通り途中にある富久さくら公園脇へ上って行き、その先を行けば新宿文化センター通りです。

 

 

闇坂 (くらやみざか) 

JR中央線信濃町駅前を走る外苑東通りの東にある須賀町の坂。表通りから細い道を入った先の「お岩田宮稲荷神社」近くの民家の間を坂下の若葉町公園へ下る階段坂は南向きでありながら影の濃い坂道でした。坂下若葉町の小道の先は鮫が橋坂の方向です。

 

 

茗荷坂 

東京メトロ新宿線曙橋駅と新宿三丁目駅上を走る靖国通りの中間地点、四谷四丁目と富久町との境の坂。ここは靖東西に走る靖国理と南から来る外苑西通りの合流地点に当り坂北側を上下する靖国通りの安保坂に近い場所にある参画地形の中にある坂です。

 

 

津の守坂  

JR中央線・東京メトロ有楽町線飯田橋駅西の揚場町と神楽坂二丁目境界の坂。 古書に「江戸にて貨物を運搬する丁夫の称にて此辺にはもと此等の徒多く居住せしに因る揚場町には適当の名也江戸名所図会に之を逢う坂登勢氏は誤りにて逢坂は舟河原町の上に在り」

 

 

戒行寺坂 

東京メトロ丸ノ内線四谷三丁目駅東の四谷三丁目二丁目境の円通寺坂を下り東方向へ湾曲しながら行き宗福寺手前の道を西へ上る坂。坂上を真っすぐ行けば外苑東通りでその手前に闇坂があります。坂下道周りには東福院坂、観音坂、鉄砲坂が点在します。 

 

 

台町坂

新宿区内を東西に走る靖国通り途中の市谷台町を上る大坂。東京メトロ新宿線曙橋駅西北側正面に見える大坂で左手西へ行く道が靖国通り、この追分坂を上って行った先は職安通り三叉路の抜け弁天前で近くを北西に下る梯子坂や久左衛門坂に立ち寄れます。

 

 

大木戸坂

東京メトロ丸ノ内線四谷三丁目の西。四谷4丁目の四つ辻、新宿通りと外苑西通りとの交差点を坂上にして新宿通りを西へ下る坂。今は坂上交差点北角に大木戸児童遊園があり新宿御苑の大木戸門に昔の名残を留めるのみで容赦ない時代の変化を感じます。

 

 

安養寺坂

東京メトロ新宿線曙橋駅のある住吉町にある坂。地下鉄曙町駅西に台町坂を見ながら北西方向の低地の先東側に念仏坂の石段坂が見えて、その先を進んだ左手西に現れる上り坂です。坂脇の住吉公園を過ぎて大通り西は余丁町その先は梯子坂となります。

 

 

鰻坂  

古書に「其阪路屈曲せるためこの名を得たり、府内備考に、お払方町の書上に云、坂2か所、右1ヶ所は、町内西より東へ登り坂道10間程、幅3間、1カ所は東西の間裏通りに有之、里俗鰻坂と唱候、坂道入り曲がり、登り凡そ20間、幅2間程、大木同有之候」と。

 

 

弁天坂

古書に「南蔵院前より市谷への入口に坂あり弁天坂といふ、是南蔵院に弁天堂在るに因りて得たる名なり、御箪笥町書上に、坂、登凡そ13間程、南蔵院前脇町内入り口に有之、里俗弁天坂と唱申候、右は南蔵院内に名高き弁財天安置有之候に付、右様唱来候哉に奉存候」と。

 

 

ゆれい坂 

東京メトロ有楽町線飯田橋駅南の外堀通りに面する神楽坂一丁目と市谷船河原長の境を北へ上る若宮町にある坂。江戸城警護の為にあっただろう外堀近くの市谷の高台一帯にはそんな遺構と思われる武家屋敷の跡も多く本坂のような石垣塀が点在します。

 

 

夏目坂

東京メトロ東西線早稲田駅北口馬場下町南隣の喜久井町にある坂。その名もすでに夏目坂通りとなっとり言わずと知れた夏目漱石生誕の地です。坂下脇にその謂れの碑があって学生の町のモニュメントとなっており坂はその先を大久保通り方向へ上ります。 

 

 

ごみ坂 

市谷駅北西の市谷長延寺町と市谷鷹匠町の間の坂。古書に「長延寺谷町の北鷹匠町との間を西より東へ上る坂あり黒闇坂と云又ごみさかとも云ヘリ府内備考に云闇坂長延寺谷町の北にあり此辺樹木茂れる故呼名とす又芥坂ともいふ今猶ほ樹木陰森勾配急なり」 

 

 

下戸塚坂

東京メトロ大江戸線牛込神楽坂駅上の横寺町にある坂。駅出口際にある袖摺坂を上りその先二筋目を東へ行く方、またメトロ東西線神楽坂駅の東側神楽坂六丁目の通り中程から南西方向に上る坂は表通り神楽坂の賑わいを離れた住宅街の中の穏やかな坂です。 

 

 

久左衛門坂

東京メトロ大江戸線・副都心線東新宿駅の東。新宿七丁目沿いを東西に走る職安通り脇を専福寺前地点から北西方向に下る坂。坂の北側近くにある階段坂の梯子坂と共に職安通りの拡幅前の時代には昔ながらの地域密着の古坂であったと思われる坂です。

 

 

中根坂 

東京メトロ有楽町線市谷駅北西の市谷加賀町一丁目と納戸町の間の坂は新市街地の坂に変貌。古書に「左内坂町と加賀町一丁目の間に坂あり中根坂といふ以前坂の西側に旧幕府の旗本中根恵三郎の屋敷ありしかば遂に呼名となる坂下に秀英舎第一工場あり」。 

 

 

朝日坂 

東京メトロ大江戸線牛込神楽坂駅上の横寺町にある坂。駅出口際にある袖摺坂を上りその先二筋目を東へ行く方、またメトロ東西線神楽坂駅の東側神楽坂六丁目の通り中程から南西方向に上る坂は表通り神楽坂の賑わいを離れた住宅街の中の穏やかな坂です。 

 

 

御殿坂 

JR中央線・東京メトロ有楽町線飯田橋駅西の筑土八幡町にある坂。新宿区東端の高台にある筑土八幡神社方向へ南坂下から上る坂道の立派な石造り擁壁の見栄えが威厳すらを感じさせるのですが現況の景色の中に往時をしのぶ景色は見当たりませんでした。

 

 

円通寺坂 

四谷二丁目と三丁目の境を須賀町沿いに若葉二丁目方向の谷地に下る坂。坂上新宿通り向こうに伸びる津の守坂につながるこの坂道は一帯の古くからの街道の跡と思われ、その道筋には付近から下る幾つかの坂下となっています 。

 

 

合羽坂

東京メトロ新宿線曙橋駅東の市谷本村町にある坂。メトロ新宿線の上を東西に走る靖国通りを跨いで南北に走る外苑東通りの四つ辻の北西角の中央大学キャンパス南西角を新五段坂方向から靖国通りへ下る片町の坂で坂下先は南側の津の守坂下と合流です。

 

 

赤城坂

粋筋の街として知られる神楽坂に隣り合う坂の街赤城元町にある坂。東京メトロ東西線神楽坂駅東口近くの神楽坂六丁目側から教育庁神楽坂庁舎のある赤城元町を北の築地町水道町方向へ下る坂は市谷台に連なる丘が神田川前面で崖地となる一帯にあります。

 



森光宏明

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