文京区の坂道
東京23区中で名前のある坂道の多い区の一位二位を港区と共に競うほどです。江戸幕府のころ幕府警護の役割を担った筈の六十四州各藩の武家屋敷群は起伏の多い地形の文京区一円を江戸城北の守りとしたのでしょう。古書などに見える坂道の記述などからもそのことを知らされますが実際の坂道探報の中でもそのような経過を窺い知ることが出来ます。
動坂
不忍通りの本駒込4丁目と千駄木4丁目の境を南西方向へ上る坂。江戸名所図絵に云、千駄木に動坂あるは、不動坂の略語にて草堂のありし旧地なり。坂の上東側不動に面して、老木の幹既に朽ちて藤蔓の之に囲繞せる有、と。
千駄木坂(団子坂)
千駄木二丁目と三丁目境の坂。台東区谷中との境を南北に走る不忍通りの千代田線千駄木駅南口の団子坂下から西へ上る坂。坂上には観潮楼跡があり、此処から江戸の海が見えたこと又森鴎外記念館もあります。坂下先は谷中の三埼坂。
播磨坂
文京区小石川四丁目と五丁目の境を東北に下る広大な坂道は、坂上の春日通から坂下の千川通りまで桜並木が連なって花の頃は都内有数の名所となります。坂下からは小石川植物園入り口も間近く桜の時期以外の季節も楽しみな地域です。
見送坂・見返坂
本郷三丁目の本郷通り(国道17号)と春日通りが交差する十字路は、江戸の昔から交通の要衝だったようです。交叉点南西角の小間物店「かねやす」は”本郷もかねやすまでは江戸のうち”と詠まれているほど夙に名高いところ。ここを北に上下して本郷東京大学前をゆく道です。その昔、旅人たちはここで見送り見送られたのです。
安藤坂
春日一丁目と二丁目の境を北野神社(牛天神)下の角から北へ上る大きな坂で、坂途中東手に樋口一葉ゆかりの「萩の舎跡」、西方の小路を行けば永井荷風生育の地があります。坂上の春日通り交叉点を真っ直ぐ行くと徳川家伝通院の正面となります。院内には徳川家康公母堂及び孫娘千姫の墓があります。
横丁坂
小日向一丁目と二丁目の境を東へ下る坂で坂上は小日向神社境内に接し、南方坂下の水道道路から上ってくる服部坂と合流してここからの眺めは素晴らしく、坂の東向こうに遠くシビックセンターやスカイツリーを望み、南西の方角に千代田区や新宿区の市街地が広がって見え、小日向の地名どおり南向きの明るい景色が楽しめます。
無縁坂
台東区池之端一丁目と文京区湯島四丁目の境界を西に向かって上る坂、と言うより、旧岩崎邸庭園や三菱資料館のある北側沿いの坂と言うほうが分り易いですね。流石に財閥のお屋敷横を通るだけに、いかにも重厚な雰囲気と静かな落ち着きを感じさせる坂道です。坂を上っていくと東京大学の龍岡門前に至り、南へ進めば本富士警察所です。
六角坂
こんにゃく閻魔で有名な源覚寺を右折して小石川二丁目のバス停を左折。真っ直ぐ進むと善光寺坂。左側角を曲がりその先を右に行くと、壁面に大きな猫を描いたビルがあり、ここを南に曲がって上る坂道です。「六角坂は、上富阪の北を東へ柳町の方へ下る坂を云ふ。六角越前守屋敷前に当れるを以ってなり」。
妻恋坂
湯島二丁目の台上にある「妻恋神社」へ辿る坂。地下鉄銀座線末広町駅を出て蔵前通りを西に進み、昌平橋通りとの信号を前方右角に渡ります。上野方向の一本目の道を左折、蔵前通りと平行して行きます。ヤマトタケルゆかりの妻恋神社が坂名の由来。坂道は南へ下ってJR御茶ノ水駅へ繋がる清水坂です。
切支丹坂
江戸の昔、今の小日向台の東の端が茗荷谷の低地に落ちる辺りは、寂しい崖地だったのでしょう。そこに集められたキリシタンはと想像たくましくすれば、オドロオドロしさが募ります。港区三田にある切支丹殉難の地とともに悲しみを誘う場所ではあります。坂を下りガード下をぬけ、庚申坂を上り切れば春日通り。
胸突坂
文京区西端目白台一丁目と関口二丁目境を坂下の神田川際にある水神社前に下る長い階段坂。坂の東は著名なホテル椿山荘の敷地で坂西側は細川庭園永青文庫のある敷地、坂下の神田川河畔には関口芭蕉庵があり坂上の目白通り脇には講談社野間記念があります。
善光寺坂
小石川2丁目と3丁目の境を南西に上る途中に坂名由来の善光寺、坂上に沢蔵司稲荷、坂途中の路面中央には椋の木の大木が現れます。少し行くと伝通院前という江戸の古坂を印象する坂道です。アプロ-チは三田線春日駅か南北線後楽園駅からこんにゃくえんま前を北へ進み左折です。
湯島坂
湯島1丁目1番2番の境目を北西に上る文京区最東端に位置する坂で、本郷通りの入り口。古書に「湯島坂は霊堂の背後、神田神社の前より湯島二丁目に下る坂路をいふ。往昔より此の名あり」とあり、古くから知られた天下御免の名坂でした。画像は坂下の神田神明通り角から見ています。
菊坂
本郷通りを左北西方向にゆっくりと下る坂道が菊坂上です。この菊坂の終点は言問通りと出会うところですが、道中には本妙寺坂、炭団坂、梨木坂、胸突坂が合流しています。この坂を取り巻く一帯は、樋口一葉、石川啄木など文人ゆかりの地で、それぞれの坂が訪問者の興味を誘います。
福山坂
東京メトロ三田線春日駅上を走る白山通り東側の西方一丁目と二丁目の境にある坂。をS字型に上下する坂。一帯は東に東京大学の広大なキャンパスに近くまた歴史を秘めた故地も多く「樋口一葉終焉の地、」「八百屋お七の墓」、など関心を誘う坂の街です。
幽霊坂
JR山手線目白駅から東南方向へ走る目白通り途中の目白台一丁目の小石川消防署前和敬塾脇の坂上から坂下の新江戸川公園近くへ下る長い坂。都内各地にある同名坂の中でも名称通りの恐怖を感じる坂は少なくなっているようですが本坂は今もその通り。
稲荷坂
本駒込四丁目と同五丁目境の坂。文京区縁辺部の北東側を走る不忍通りの大坂神明坂下方向から本駒込丘上の天祖神社や神明公園方向へ上る坂。一帯は古くからの地域の拠点が散在し駒込名主屋敷などのあるメインストリート近くの大事な坂だったようです。
鉄砲坂
関口三丁目と目白台三丁目の境界にある坂は目白関口の台上を東南方向から北西方向に走る目白通りのバス停目白三から東の音羽通りへ行く途中にある坂。坂脇に目白台図書館を見ながら坂下の首都高そばにある東京音楽大学付属高校近くへ下る坂道です。
お茶の水坂
首都高速5号線と並行して走る音羽通りの西、関口三丁目と目白台三丁目の境界を坂下の音羽通り側から西の目白台上へ上る坂。坂下南に東京音楽大学付属高校があり坂途中南側に東京カテドラル聖マリア大聖堂や目白台図書館のある落ち着いた町の坂です。
牛天神坂
首都高速5号線と並行して走る音羽通りの西、関口三丁目と目白台三丁目の境界を坂下の音羽通り側から西の目白台上へ上る坂。坂下南に東京音楽大学付属高校があり坂途中南側に東京カテドラル聖マリア大聖堂や目白台図書館のある落ち着いた町の坂です。
曙坂
東京メトロ南北線東大前駅の西にある西方2丁目の旧白山通りの本郷税務署後方を西へ下る坂。この白山下低地へ下る坂道は北側から八百屋お七ゆかりの浄心寺坂・中坂・胸突き坂・そして曙坂・福山坂(新坂)などそれぞれは明治大正期人情物語りの舞台です。
白鷺坂
東京メトロ丸ノ内線茗荷谷駅の北大塚三丁目四丁目の境界を東西に走る不忍通りの坂。文京区を東南から北西方向に走る春日通りと南西から北東に走る不忍通りの交差点を東へ上る大坂を越えその先を行けばプラタナス通り交差点を越えて猫又坂の上りです。
逸見坂
東京メトロ丸ノ内線茗荷谷駅の北大塚三丁目四丁目の境界を東西に走る不忍通りの坂。文京区を東南から北西方向に走る春日通りと南西から北東に走る不忍通りの交差点を東へ上る大坂を越えその先を行けばプラタナス通り交差点を越えて猫又坂の上りです。
新坂
根津一丁目にある坂。一帯の鎮守の大社の根津神社鳥居前を神社西脇に沿って北西方向へ上る坂は神社の由緒を物語るような豊かな杜の前面を掃き清める感じと形で古式すら思わせる新坂でした。東京メトロ千代田線根津駅近く花の季節が楽しみな坂道のよう。
豊坂
豊島区に近い文京区の西端目白台一丁目にある坂。JR山手線目白駅Ωから東南へ延びる目白通りは神田川北側の高台目白台の尾根を走る道で、この高台から坂下神田川方向へ下る幾つかの急坂の一つで日本女子大前辺から坂下山吹の里方向へ下って行きます。
忠弥坂
坂上は南から上って来る建部坂上と合流。 古書によると「丸橋忠弥の居住地、彼の由比正雪と共に有名なる丸橋忠弥の居住地は、単にお茶の水上とのみありて其の所詳かならず。或は云、弓町なり」などとあります。
浄心寺坂
白山一丁目にある坂は有名な「八百屋お七の墓」のある円乗寺のある坂で、坂上の旧白山通り側から西の白山通り下の追分近くへ下る可なりの急坂です。この坂へのアクセスは都営三田線白山駅南口先を東に入る坂でほぼ東方向へ上り旧白山通りに出ます。
森光宏明
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